39種。代表種は
ラベンダー(英:lavender [ˈlævəndər]、仏:lavande)は、シソ科ラヴァンドラ属(ラベンダー属、Lavandula)の半木本性植物の通称である[1]。または、半耐寒性の小低木Lavandula angustifolia (通称:ラベンダー、コモン・ラベンダー、イングリッシュ・ラベンダーなど)を指す。
ラヴァンドラ属(ラベンダー属、lavandula)は、半木本性植物で、低木のような草本、小低木、亜小低木である[2]。多年生のものとそうでないものがある。ヨーロッパ南部を中心に39種が知られ、高さは2メートル以下。原産地は地中海沿岸、インド、カナリア諸島、北アフリカ、中東などである[3]。春に紫や白、ピンク色の花を咲かせる様々な種がある。中でも紫色の花が最もポピュラーである。多くの種は、花、葉、茎は細かい毛でおおわれており、その間に精油を出す腺がある[4]。揮発性の油を多く含むため、草食動物はほとんど食べないが、芳香で蜂などを引き寄せる。ユーカリと同じように夏の熱さなどで自然発火し、野火をよぶ。種子は野火の後に発芽する性質がある[3]。伝統的にハーブとして古代エジプト、ギリシャ、ローマ、アラビア、ヨーロッパなどで薬や調理に利用され、芳香植物としてその香りが活用されてきた。ラベンダーの栽培は1930年代に本格的に行われるようになるが、それ以前は野生種の刈り取りがほとんどだった[5]。ラヴァンドラ属には、ラベンダー特有の香りがない種も一部存在する。園芸用としても愛好されている。
主にラベンダーと呼ばれるL. angustifolia(コモン・ラベンダー)だけでなく、その近縁種や交雑種もラベンダーと呼ばれることがあるため、ラベンダーの名で販売される苗やラベンダー油(英語版)がL. angustifolia のものとは限らない[6]。
日本におけるラベンダーの初期の記述としては、江戸文政期の西洋薬物書に「ラーヘンデル」「ラーヘンデル油」の名で詳細な説明がある[7]。幕末期には一部ではあるが、精油が輸入され、栽培も行われていたと考えられている。昭和期には香料原料として、北海道富良野地方などで栽培されて精油が生産され、1970年にピークを迎えたが、合成香料の台頭で衰退した[7]。現在では富良野などでラベンダー畑が観光資源となっている。
現代でもL. angustifolia(コモン・ラベンダー)やL. latifolia(スパイク・ラベンダー)、L. x intermedia(ラバンジン)などが精油を採るために栽培され、精油は香料として用いられたり、アロマセラピー(芳香療法)としてリラクセーション等に利用されている[1]。
英語のlavender は古フランス語のlavandre に由来する。lavandre の語源として様々な説があるが、「洗う」という意味のラテン語 lavo やlavare から来るといわれる[8]。古代ローマ人達は洗濯に用いたり、浴用香料として疲労や硬直した関節を和らげるために利用したという[9][10]。学名のLavandula は他のヨーロッパ言語でラベンダーを指す言葉からリンネが命名したと言われる。
しかし、この通説を裏付ける歴史的証拠はなく、一般的に古代ギリシャ人・ローマ人はラベンダーを入浴に利用しなかったなどの問題点があり、作り話である可能性がある。UpsonとAndrewsはローマ帝国での入浴に関する記述を確認したが、ラベンダーの使用はなかったという。UpsonとAndrewsは、ラテン語のlivere と中世ラテン語lavindula から推測し、「青みを帯びた、青みがかった」を意味するラテン語livere に由来するという説を提示している。
ヨーロッパ各地で盛んに品種改良が行われたことや、交雑種を生じやすい性質のために、呼び名や学名はかなり混乱しており、分類に関しては現在も研究が進められている。また植物学上の分類では同一種であっても、産地により抽出される精油の成分組成や香り、生物活性(効能)が異なる事から、生産地名を加えて区分しているものもある。歴史的にひとつの通称が、複数の種に用いられる例も見られる。同じ種のラベンダーでも、多数の通称を持つものも少なくない。
古代ローマでは、L. stoechas(イタリアン・ラベンダー)、L. pedunculata(スパニッシュ・ラベンダー)、L. dentata(キレハ・ラベンダー) はローマ時代にすでに知られていた[11]。地中海地方に自生するいくつかの種が活用されたが、それらはほとんど区別されることはなかった。L. angustifolia(コモン・ラベンダー)を初めて他と区別したのは、中世の修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(ユリウス暦1098年 - 1179年)である。中世ヨーロッパでは、ヨーロッパのラベンダーはストエカス(L. stoechas、L. pedunculata、L. dentata) とラヴェンドラ (L. spica、L. latifolia)の2つのグループにわけられていた。リンネは『植物の種』Species Plantarum (1753年)で、当時知られていたラベンダーを一つの属にまとめた。5種のラベンダーが挙げられ、L. multifida、L. dentata (スペイン) 、L. stoechas、L. spica。L. pedunculataはL. stoechas に含まれていた。L. angustifoliaとL. latifolia は区別されず、L. spica とされた。
最初の近代的な分類で重要なものは、1937年にキューのDorothy Chaytorが行ったもので、28種をストエカス節、スパイカ節、スブヌダ節、プテロストエカス節、カエトスタシス節、デンタータ節の6つの節[12]に分けたが、容易に割り当てることのできない種が残された[13]。栽培種や園芸種はスパイカ、ストエカス、プテロストエカスの3節から出ており[14]、カエトスタシス節はインドやイラン、スブヌダ節はアラビアやソマリアに分布する[15]。現在日本で見られるものは、園芸書ではイングリッシュ系(スパイカ節)、フレンチ系(ストエカス節、デンタータ節)、ラバンジン系(L.a.ssp angustifoliaとL. latifoliaの交雑種)、その他に大別される[16]。フレンチ系はイングリッシュ系より開花期が早い[16]。スパイカ節(イングリッシュ系)の種は分類・学名に変遷があるため、現在でもL. angustifoliにL. officinalisやL. veraなどの古い学名の使用するなど、学名の誤用が見られる[14]。
現代では、クライストチャーチ植物園などでBotanical Officerをしていたヴァージニア・マクノートン(Virginia McNaughton)は、スパイカ節、ストエカス節、プテロストエカス節、カエトスタシス節、スブヌダ節の5つの節に分かれるとしている[14]。
最新の分類はTim UpsonとSusyn Andrewsによる2004年のもので、ラヴァンドラ亜種(ラヴァンドラ節、デンタータ節 、ストエカス節)、ファブリカ亜種(プテロストエカス節、スブヌダ節、カエトスタシス節、Hasikenses 節)、サバウディア亜種(サバウディア節)の3亜種があるとされた[2]。以下、Tim UpsonとSusyn Andrewsによるによる分類。主な種を挙げる。
高温多湿は苦手な種が多く、西岸海洋性気候や亜寒帯湿潤気候の地域で多く栽培されている。世界的に有名な生産地はフランス南東部のプロヴァンス地方で、伝統的に多くの地域で商品作物として栽培され、ラベンダー畑が多数ある[3]。
ラベンダーは近年まで野生種が採取されていた。1925年頃から伝統的に野生種の狩り集めを行ってきた地域の周辺(アルプ=ド=オート=プロヴァンス県のヴァランソール高原、ローヌ渓谷沿いの低地地帯、ヴォクリューズ県のソー(Sault[19])地方(コミュヌ)、ヴァルレアヌス地方、カルパントラ、アプト周辺などのローヌ川流域)にラバンジン農家が多数でき、徐々にほかの地域でもラバンジンが栽培されるようになり、1930年代から本格的に栽培がおこなわれるようになった[5]。伝統的なラベンダー農家は、好条件とは言えない土地で小規模に栽培を続けながら、生活できる程度の農業や時には牧畜も併行して行っていた。第二次世界大戦後の経済の急成長に従ってラバンジン農家の機械化が進み、ラベンダー栽培も急速に発展し野生種の狩り集めに取って替わった。同時にラバンジンの立ち枯れが急速に広がったが、その対策として丈夫な品種「グロッソ」が栽培されるようになり、また合成香料の価格が上昇したことでラベンダー、ラバンジンは増産された。しかし、1990年代初めまでにラベンダー油の利益率が悪化したため、栽培面積はそれまでの約40%に減少した[5]。1994年からフランス政府主導の再活性化計画で多少持ち直し、年間生産量は30トン弱から45トン強で推移している[5]。現在の栽培地はあまり標高が高くなく、ラバンジンが生産される地域でラベンダーも生産されている[5]。以前産地であったオート=アルプ県やアルプ=ド=オート=プロヴァンス県のバレム、ディオワなどの山岳地では、平地のラバンジン産地のような農業基材、蒸留設備といったインフラがなかったため、ラベンダー栽培の再活性化計画は頓挫し、標高の低いラバンジン産地でラベンダーの栽培もおこなわれるようになった[5]。
現在(1999年)の栽培地は主にヴォクリューズ県のアルビオン高原地方、ソー地方、アプト、ドローム県のバロニー山地に集中しており、ラベンダー以外の作物はほとんど栽培されない。この地域における生産がラベンダー油全体の約8割を占めている[5]。ソー地方が有名で、ラベンダー農家が多数あり、広大なラベンダー畑が広がる。ソーの様々なラベンダー製品はフランス国内、ヨーロッパ、世界各地に届けられている。ソーでは毎年夏に1日「ラベンダー祭」が催され、ラベンダーを用いた様々な製品が通りに並び、普段は人口3000人位のコミュヌに世界各地から2万人ほどの観光客が訪れる。
近年プロヴァンスでは、ラベンダー畑のバクテリア被害が深刻な問題になっている。異常気象の影響で、有害なバクテリアを媒介するヨコバイが大量発生し、2007年から2010年の間にラベンダー畑の50%が被害を受け、生産が大幅に落ち込んだ[20][21][22]。
日本では北海道の富良野地方のラベンダー畑が世界的にも知られ[3]、上富良野町、中富良野町、ニセコ町のシンボルとしても指定される。栽培発祥地は、札幌市南区南沢であり、1942年に栽培が開始された。札幌市では、幌見峠頂上(宮の森地区)にあるラベンダー畑が有名であるが、規模は小さい。他にも、南沢にある東海大学札幌キャンパスでは、2002年よりラベンダーキャンパス化計画として栽培されている。
東北地方以南にも、以下のようなラベンダー園等がある。
ラヴァンドラ属は、ポプリの材料、ハーブティー、料理の風味付け、化粧水などの美容、観賞用(鉢植え)等々に利用されてきた。また古くから、多くの薬効を持つハーブとして利用された。
ギリシア人は、シリアの都市ナールダ(おそらく現在のイラクのドホーク)から採って、ラベンダーを「ナルド」と呼んだ[27][28]。L. latifolia(スパイク・ラベンダー)は、最も高価な香料のひとつである甘松香(英語版)(スパイクナルド)と混同され、重用された。新約聖書でベタニアのマリアがイエスに注いだ「ナルドの香油」は、甘松香ではなくラベンダーの香油であったとも考えられている[14]。ラベンダーの花は非常に高価で、古代ローマのプリニウスの時代には1ポンド当たり100デナリという高額であり、中世になっても貴重なものであった[10]。
フランスなどでは、乾燥させた花を小さな布袋に入れた一種のサシェ(香り袋、匂い袋)があり、それを洋服箪笥に入れたり、ワードローブの中に下げておいたりして、香りを衣類に移したり防虫剤として利用する。あるいはサシェをベッドの枕の近くなどに置いて寝室に漂わせたり、枕のつめものの一部としてラベンダーを混ぜておいて、枕に頭を置くだけで中身が自然と揉まれて香りが漂うことを楽しむ。
花や葉は食用され、食欲増進のハーブとして料理や菓子の風味付けに用いられた。調味料としてサラダやドレッシングに利用されている[29]。南フランスでラベンダーは伝統的に様々な用途に利用され、エルブ・ド・プロヴァンスというラベンダーを含むハーブミックスが広く知られるが、これはスパイス業者が作ったもので、伝統的な南仏プロヴァンス料理でラベンダーは用いられない[30][31]。近年、エルブ・ド・プロヴァンスは料理でよく使用されるようになってきている。
エリザベス1世はラベンダーのジャムを好み、砂糖漬けを肉料理やフルーツ・サラダの薬味として、菓子や頭痛薬として食した[10]。チャールズ1世の妃ヘンリエッタ・マリアは、ラベンダーの花を刻んで粉砂糖と混ぜ、ローズウォーターでペースト状に練った砂糖菓子が大好物で、これをビスケットなどに塗って食べていたという[要出典]。
また、香水に使われる香料として重要な役割を果たした。ラベンダーの芳香成分をアルコールに溶かしたラベンダー水は、ローズマリー水(ハンガリーウォーター)と共に、最古のアルコールベースの香水のひとつとされる[32]。1709年にイタリアの香料商ヨハン・マリア・ファリナがドイツのケルンで発売され人気となった香りのよい薬用酒「アクア・アドミラビリス」(奇跡の水)、後の「オーデコロン」(Eau de Cologne、ケルンの水)には、微量のラベンダーがブレンドされていた[3][7]。
現代では、L. angustifolia(コモン・ラベンダー)やL. x intermedia(ラバンジン)の精油は、香料やアロマセラピーに用いられる。精油は、先端部分および花から、水蒸気蒸留で抽出される。ヨーロッパ薬局方には、L. angustifoliaの精油が収録されている。溶剤抽出法によるラベンダー・アブソリュートもある[33]。同じL. angustifoliaを用いても、抽出に用いる部位によって、精油の成分は大きく異なる。L. x intermediaはL. angustifoliaより多くの精油を採ることができ、価格が安いため広く流通しているが、L. x intermediaの精油をL. angustifoliaの精油として販売する業者も存在する。L. x intermedia(ラバンジン)の精油は、多少カンファー臭があり、L. angustifolia(コモン・ラベンダー)の精油とは成分組成も異なる[33]。
Lavandula latifolia(スパイクラベンダー)の精油は、油彩画用の揮発性溶剤としても利用される。同様の目的に使われるテレビン油に比較して、非常に高価なためあまり使われないが、樹脂の溶解能力は高く、防腐性能もある。[34]
ラヴァンドラ属は、ハーブの一種として用いられ、様々な効能が期待されている。古くから多くの病気に対する万能薬として利用されており[10]、不安、不穏、不眠、うつ症状、精神安定、鎮痛、胃のむかつき、脱毛、防虫・殺菌などに効果があるとされ、民間療法または伝統療法として使われている[35][36]。アメリカのNational Center for Complementary and Integrative Health(NCCIH、旧 国立補完代替医療センター)は、2012年時点では、伝承される多くの効能に対し、有効性が科学的に証明されたものはごくわずかしかないと述べている[36]。
精油も薬用され、第一次世界大戦時に病院で使用されていた[37]。種によって成分組成は異なり、香りだけでなく薬効も異なる。
揮発性の油である精油には、L. angustifolia(コモン・ラベンダー)の水溶性成分などは含まれないため、ハーブとしての効能をそのまま精油に用いることはできない[38]。L. angustifoliaの精油はアロマテラピーでもっとも使われるもののひとつで、様々な効能があるといわれている。生化学者のマリア・リス・バルチンは、一般に言われるL. angustifoliaの精油の効能には、近世のハーブ療法家・ニコラス・カルペパー(英語版)(1616 - 1654)が記したL. latifolia(スパイク・ラベンダー)の効能で、チンキやティーの形で治療に用いたものが誤って引用された例が少なくないと指摘している[33]。例えばL. latifoliaの水溶性成分には鎮痙作用[39]があるが、これがL. angustifoliaの精油の効能として転用されており、情報が混乱していることがわかる[33]。またカルペパーは、ラベンダーには癲癇(てんかん)、痙攣(けいれん)など様々な症状に効果があると述べているが、スパイク油(ラベンダーの精油)は「その性質は極めて激しく刺すような刺激があるため、使用には注意を要する。」としている[3]。
一部の予備的な研究結果では、ラベンダー油は、タイム油、ローズマリー油、シダーウッド油と組み合わせて使用すると、円形脱毛症に効果がある可能性が示されている[40][36]。いくつかの研究は、6 - 10週間ラベンダー油を経口摂取することで、不安や不眠を改善することを示唆しているが、抗不安薬ロラゼパムより効果は弱いようである[40]。ただし、初期のアロマセラピーにおけるラベンダー油での不安治療の研究は不十分であり、エビデンスたり得ない[40]。またいくつかの研究は、ラベンダー油の香りを嗅いでいると高齢者の転倒が減少する、帝王切開で静脈内鎮痛剤を使用しながらラベンダー油を吸入すると、術後の痛みが軽減することを示している[40]。
がんによる痛みの軽減、認知症の改善、会陰の痛みの軽減などの効果はないと考えられている[40]。
鎮静効果(興奮)に関する臨床研究は不十分で、矛盾する研究結果があるが[36]、アルツハイマー症患者の興奮を改善する可能性がある。かゆみや炎症を起こしている皮膚(湿疹)、疝痛、便秘、鬱病、気分の落ち込み(幸福感)、月経痛、高血圧、不眠、偏頭痛、頭痛、シラミ、耳の感染症、傷の治療、食欲不振、歯痛、にきび、吐き気、がんに対する効果、蚊の忌避剤、防虫剤としての効果の研究は十分ではなく、さらなる研究が必要とされている[40]。
ラベンダーを経口摂取した場合、便秘、頭痛、食欲増加を引き起こす可能性がある[40]。ラベンダー油の経口摂取は、有害である可能性がある[36]。
アメリカ国立衛生研究所は、妊娠中・授乳中におけるラベンダーの使用は、安全が確認されていないとしている[40]。
L. angustifolia(コモン・ラベンダー)やL. x intermedia(ラバンジン)などラヴァンドラ属の精油は、皮膚への感作性[41]を除けば、比較的安全性の高い精油である。皮膚に使用すると刺激を感じることがある。精油や精油を用いた化粧品による接触性皮膚炎やアレルギー反応の報告があり、日本人のラベンダー油の陽性率(パッチテストによる)は、1997年に劇的に増加している[42]。これは、近年のアロマブームの影響だと考えられている。L. x intermediaの精油で偽和(合成成分の添加など)が横行しており、これが広く利用された影響で、ラヴァンドラ属の精油に対する感作が上昇していると考えられる[33]。名古屋大学医学部環境皮膚科学講座の杉浦真理子らは、化粧品の接触性皮膚炎に関する調査を行った。12年間に1000人以上の患者を対象に行ったパッチテストで、陽性率第1位はラベンダー油で、6.57%と突出して多かった[43][44]。
2004年にin vitro(試験管内で行う試験)で、ラベンダー油に細胞毒性(細胞傷害性)が認められたという研究結果が公開された[45]。これに対しアロマセラピストのロバート・ティスランドは、全てのin vitroは、その現象が起こる可能性を示唆するにすぎず、生体で同様の効果があると決めつけることはできないと述べている[46]。
2007年に様々な香料と感光性(英語版)に関する研究が発表された。ラベンダーは光毒性反応を誘発すると言われているが、研究でそのような現象は認められなかった[47] 。
精油の思春期前の少年への局所的・反復的使用は、男性の乳房が成長する女性化乳房の原因になるという見解がある[36][48][49]。
コロラド大学デンバー校の小児内分泌学者Clifford Blochによると、4歳・7歳・10歳の「思春期前女性化乳房」と診断した男児3人が、ラベンダーの香りの石けん、スキンローション、またはシャンプーか整髪料を使用しており、これらにはラベンダー油またはティーツリー油が含有されていた[50]。これらの製品の使用をやめると、数カ月で女性化乳房の症状は消えた[50]。
アメリカ国立環境衛生科学研究所は、ヒト乳がん細胞を使って、これらの精油が遺伝子の発現にどう影響するかを調べた。その結果、主要な女性ホルモンであるエストロゲンと似た働きをする他、男性ホルモンのアンドロゲンを阻害するらしいことが分かった[50]。
薬剤、サプリメントとの相互作用の可能性がある[36]。抱水クロラール、降圧薬、バルビツール酸系薬(鎮静薬)、ベンゾジアゼピン(向精神薬)、中枢神経抑制薬と相互作用があると考えられている[40]。眠気を引き起こす、または血圧を下げる可能性があるため、同様の効果を持つサプリメントと併用すると強い眠気が起こったり、血圧が大幅に低下する危険性がある[40]。中枢神経系に影響を与えると推測されるため、手術中に使用する薬剤との相互作用を防ぐために、手術の2週間前に使用を止める必要がある[40]。
欧州連合(EU)では、欧州における新しい化学品規制REACH(REACH規則、REACH法:Registration, Evaluation, Authorisation and Restriction of Chemicals)が、2008年から運用されている[51][52]。この規則では、EUで物質(調剤中の物質も該当)を年間1トン以上製造又は輸入する事業者に対し、登録手続が義務付けられている[51]。登録の他にも、条件に該当する場合は、認可、制限、届出などの義務がある[51]。対象には精油などの天然香料も含まれ、香料業界・生産農家・化粧品業界・アロマセラピー業界などで議論を巻き起こしている[53]。
ラベンダーの精油はアレルギーを引き起こす可能性があるとして、REACHの対象となっており、将来的に「内服または吸入した場合、死亡する可能性がある。」という赤と黒の警告ラベルが義務付けられる可能性がある[54]。精油は合成香料などと違い、生産地、生産年などでも成分組成が異なるため、その都度の検査が必要となり、流通も規制されるため、ラベンダー農家や精油業者とって大きな負担となる[55]。ラベンダー農家の多くは、天然物質である精油をReachの対象とすることに対し、「ラベンダーは化学製品ではない。Reachの適用反対」などのメッセージ看板を畑に掲げるなどして、反対の立場を表明している[54][53]。
リナロール、酢酸リナリルを主要成分とする[56]。
他多数の成分からなる。
リナロール、1,8-シネオール(ユーカリプトール)、カンファー(樟脳)を主要成分とする。他多数の成分からなる。
ヨーロッパでは伝統的に精油が医療に利用されていたため、西洋医学(蘭方)が日本に伝わると、日本の医師や学者は西洋の薬用植物や精油、精油の蒸留法、利用法に興味を持ち、情報を集めて医療に利用した。ラベンダーは文政期に、宇田川玄真(榛斎)訳述・宇田川榕庵補校による西洋薬物書『遠西医方名物考』(1822年)及び補遺(1934年頃)に「ラーヘンデル」「ラーヘンデル油」の名で詳しい説明があり、以降江戸後期の翻訳書・蘭学書にもラベンダーや精油についての記述がある[7]。フランス語のlavande は、蘭学者の翻訳によりオランダ語のlavendel (ラーヘンデル)として紹介された。翻訳作業を通して蘭方薬(西洋薬)に使う生きた植物を輸入しようという機運が高まった。遠藤正治によると、大槻玄沢と宇田川玄真が幕府に申請したオランダからの輸入のリストにはラベンダーも含まれていたという[7]。1819年には花と精油が輸入され、万延元年(1860年)に遣米使節団によってもたらされた植物の種子には、ラベンダーの種子が含まれていた[7]。日本の香り文化を研究する吉武利文は、本草学者山本榕室に送られた種子の記録や、旗本で本草家の馬場資生圃(1785年 - 1868年)のラベンダーの絵などから、幕末期には一部ではあるが、精油が輸入され、栽培も行われていたと考えられる、と述べている[7]。
ラベンダーの本格的な栽培・精油の蒸留は、1937年(昭和12年)に曽田香料株式会社の創業者・曽田政治が、フランスのアントワン・ヴィアル社からラバンデュラ・オフィキナリス(Lavandu la officinalis )の種子を入手したことに始まり、1942年(昭和17年)には日本最初のラベンダー油が採取されたといわれてきた[57]。しかし吉武利文は、株式会社永廣堂の沿革には、1935年に伊豆(富戸)でラベンダー油・ゼラニューム油(ゼラニウム油)の栽培・採油を開始したとあり、それ裏付ける1939年の資料もあるため、北海道より伊豆の方が少し早かった可能性もあると指摘している。戦時体制下であった当時、伊豆では国産香料の生産が目指され、クロモジやゼラニウムの蒸留の他に、ラベンダーも試験的に栽培・蒸留が行われていたが、第二次世界大戦が始まると食料増産のためラベンダーの生産はできなくなった。戦後は、伊豆では一部に残るのみとなった。曽田香料は戦中ラベンダーの原種苗を保存し、終戦後は契約による委託栽培を募り、富良野地方などでラベンダーの栽培・蒸留が広く行われた。しかし、1972年(昭和47年)頃から合成香料技術の進歩と輸入自由化の影響を受けて衰退した[57][58]。
1960年代までは、ヨーロッパを旅する機会のない日本の一般大衆は、ラベンダーをほとんど知らなかった[要出典]。フランスではラベンダーの香り袋やラベンダー油を用いた製品がよく見られるため、フランスを旅したり滞在したことのある日本人は知る機会があった。日本が経済的に豊かになるにつれ海外旅行をする人が増え、ヨーロッパでラベンダー関連製品の香りを自身で体験し、興味を持つ人が増えた。
1975年に国鉄のカレンダーで北海道富良野のラベンダー畑が紹介され問い合わせが殺到し、観光資源として栽培されるようになった[57]。人気テレビドラマ『北の国から』(1981年 - 1982年)でもラベンダー畑が登場して話題となった。富良野のラベンダー畑は、夏の北海道旅行で立ち寄る場所の一種の「定番」となり、多くの日本人がラベンダーに親しむようになった。
筒井康隆の小説『時をかける少女』(1967年)やその映像化作品であるテレビドラマ『タイム・トラベラー』(1972年)、および原田知世主演・大林宣彦監督の映画『時をかける少女』(1983年)に、物語の鍵としてラベンダーの香りが登場した。それらの作品(特に1983年の映画)に接した人は、その名前と香りの特徴を知った[59]。
ラベンダー色は同性愛者を象徴する色でもある。ピンク・トライアングルを参照。
ラベンダー(英:lavender [ˈlævəndər]、仏:lavande)は、シソ科ラヴァンドラ属(ラベンダー属、Lavandula)の半木本性植物の通称である。または、半耐寒性の小低木Lavandula angustifolia (通称:ラベンダー、コモン・ラベンダー、イングリッシュ・ラベンダーなど)を指す。