シイタケ(椎茸、香蕈[1]、学名:Lentinula edodes、英語:Shiitake, Shiitake mushroom)は、ハラタケ目-キシメジ科に分類されるキノコである。異説では、ヒラタケ科やホウライタケ科、ツキヨタケ科ともされる。
シイタケは日本、中国、韓国などで食用に栽培されるほか、東南アジアの高山帯や、ニュージーランドにも分布する。日本においては従来から精進料理に欠かせないものであり、食卓に上る機会も多く、また旨み成分がダシともなるため、数あるキノコの中でも知名度、人気ともに高いもののひとつである。英語でもそのままshiitakeで、フランス語ではle shiitake(男性名詞)で受け入れられている。
かつてはマツオウジ属(genus Lentinus)に入れられていたが、菌糸構成などの違いから分離された。
本菌の原記載論文はチャレンジャー号探検において1875年に日本で採集された標本に基づく。
なお、シイタケの種小名の edodes を「江戸です」から採ったとする説があるが[2]、イギリスの菌類学者マイルズ・ジョセフ・バークリーによる1878年の原記載論文には学名の由来は記されていない。
ギリシア語で「食用となる」という意味の語は εδωδιμος であり、ラテン文字に置き換えると edodimos となり、これに由来すると考えられている。なお、江戸にちなんで命名された学名では yedo と表記されるソメイヨシノがある。
自然界では、主にクヌギやシイ、コナラ、ミズナラ、クリなどの広葉樹の枯れ木に発生するが、希にスギなどの針葉樹にも発生する。短い円柱形の柄の先に、傘を開く。枯れ木の側面に出ることも多く、その場合には柄は大きく曲がる。傘の表面は茶褐色で綿毛状の鱗片があり、裏面は白色で、細かい襞がある。子実体の発生時期は初夏と秋で、適温は10〜25℃と幅があり菌株によって異なる。
よく似た条件で発生し、やや姿が似た毒キノコとしてツキヨタケがある。これをシイタケと間違えて食べて中毒になり、入院するまでの病状になる事が多い。外観は似ており、夜間や暗い場所では青白く光ることで区別がつくが、古くなったものは光らないこともあるので注意を要する。
日本を代表する食用キノコとして親しまれている。日本では「しいたけ品質表示基準」によって、食品としての「しいたけ」を「しいたけ菌の子実体であって全形のもの、柄を除去したもの又は柄を除去し、若しくは除去しないでかさを薄切りにしたもの」と定義している[3]。
生しいたけ 菌床栽培 生[4] 100 gあたりの栄養価 エネルギー デンプン 正確性注意 食物繊維 飽和脂肪酸 一価不飽和 多価不飽和 ビタミン チアミン (B1) リボフラビン (B2) ナイアシン (B3) パントテン酸 (B5) ビタミンB6 葉酸 (B9) ビタミンD ミネラル ナトリウム カリウム カルシウム マグネシウム リン 鉄分 亜鉛 銅 セレン 他の成分 水分 水溶性食物繊維 不溶性食物繊維 ビオチン(B7) 有機酸 マイクログラム • mg = ミリグラム旨み成分として、5'-グアニル酸やグルタミン酸を豊富に含むので、食材としてだけでなく、出汁をとるのにも使われる。グアニル酸は生のシイタケでは総重量に占める割合が少ないが、乾燥して温度が上昇する過程で、リボヌクレアーゼやホスホモノエステラーゼ(英語版)などの酵素の働きにより増加する。また乾燥することで細胞が破壊され、旨味成分の抽出効率が上昇する[5]。風味・食感に癖があり、ピーマンやニンジン、グリーンピースと並び好みの別れる食物の一つでもある。また栄養価としては炭水化物、食物繊維、ミネラルが主で、低カロリー食品である。しかし、含有されるミネラル分やビタミン類の量は生育環境(栽培条件)により大きく異なり[6][7]栄養価として公表されている数値は目安に過ぎない。そのため収穫後の子実体への効果を期待し様々な成分の添加が研究されている[8][9][10]。
生椎茸(なましいたけ)は遠火で炙り焼きにしたり、鍋料理、スープ、茶碗蒸し、うどん、巻き寿司などに入れたり、炒め物、天ぷらなどにして食べる。鮮度が落ちやすい食材で、切り口や傘の裏が茶色く変色したものや、開封すると刺激臭のあるものに至っては食さないことが望ましい。
干し椎茸(ほししいたけ・乾椎茸とも)は、しいたけを乾燥させた食品である。椎茸は乾燥によって旨み・香り成分が化学的に増すという特徴がある。出汁をとったり、水で戻してから煮物や佃煮にしたりする。もどし汁も出汁として利用される。また、陽に当てて干すことによって、ビタミンD2の含有量も増える。
成長程度の違いから、肉厚でかさが開ききっていない冬菇(どんこ)と、薄手でかさが開いている香信(こうしん、本来は香蕈と書く)、さらに両者の中間的存在の香菇(こうこ)の区別がある。いずれも中国での呼び方を取り入れたもので、どんこは中国語の発音「dōnggū」を模している。かさの表面に亀裂の様な模様がひろがっているものは花冬菇(はなどんこ、中国語では花菇)と呼ばれる。この他、スライスしてから乾燥させた製品もある。
椎茸のうまみ成分・風味は熱に弱いため、出汁を取る際には冷水に5時間以上漬けておくことが望ましいとされる[5][11]。また、超音波照射は干し椎茸の水戻しに効果があり[12]、食品加工業者向けには、超音波霧化分離技術を利用した加熱の不要なシイタケエキスの抽出装置が開発され、生椎茸栽培の盛んな徳島県内にて2014年に実用化されている[13]。シイタケエキスは麺類のたれなどの食品のほか、保湿作用や美白作用があり、化粧品にも利用されている[14] [15]。
中国医学では香蕈(こうしん)と称して生薬ともした。益気、健脾、健胃、化痰の作用があり、貧血や高血圧に効くとされる。近年は、β-グルカンの免疫強化、抗癌作用の研究も行われている[16]。その他の医療的利用ではシイタケ属から抽出されたAHCCが健康食品として利用されている。代替医療科学研究センターの発行する資料によると、シイタケ菌糸体には免疫抑制細胞を軽減する働きがあり、肝機能保護作用があることも報告されている[17]。
生シイタケを食べた場合、しいたけ皮膚炎と呼ばれるアレルギー反応が発生することがある。体幹部に掻痒が強い紅斑や丘疹が発生し、掻痕に一致した線状の皮疹も呈する。この線状皮疹は Flagellate erythema (Flagellate dermatitis、Scratch dermatitis) と呼ばれる。しいたけ皮膚炎以外では、原因は不明だがシイタケに含まれるレンチナンに対するアレルギー反応だという説があり、この場合は掻痒がない。
干しシイタケの戻し汁などでも症状が発生することが確認されている。特にアレルギー体質の児童に対しては注意を要する。
古来日本では古くから産したものの、栽培は不可能で自生したものを採集するしかなかった。その一方で精進料理において出汁を取るためには無くてはならないものであり、道元が南宋に渡った際に現地の僧から干し椎茸を持っていないかと問われた逸話があるほど高価な食材であった。
江戸時代から、原木に傷を付けるなどの半栽培が行われ始めた。シイタケの胞子が原木に付着してシイタケ菌の生育が見られるかどうかは全く不明であり、シイタケ栽培は成功した場合の収益は相当なものであったが、失敗した場合は全財産を失うほどの損害となる一種の博打だった。
人工栽培の方法は20世紀に確立されたが、最近では原木栽培または菌床栽培されたものが市場流通品の殆どを占める。2006年10月1日からは、商品に必ず原木栽培品か菌床栽培品かを表示する事が義務付けられている。
現在では人工栽培の方法が諸外国にも普及しているものの、日本産干し椎茸は本場ものとして台湾、香港などで人気があり、各地の業者が輸出をしている。
一般的にシイタケの原木栽培(ほだ木を利用する栽培)では長さ1m程度に切断した広葉樹を原木として利用する。作業性を考慮し直径10〜20cmの樹を利用する事が多い。原木は秋から初冬に伐採、過度な乾燥を避け保管され、翌早春に種菌が接種される。種菌が接種された原木を、約1年を森林の下に寝かせ菌糸体の蔓延を待つ。種菌の接種から16〜18ヶ月経過後に「ほだ場」と呼ばれる栽培場所に移し、柵に立てかけるように原木を並べて子実体の発生を待つ。子実体が発生するのは、通常種菌を植え付けてから18〜24ヶ月後で、3〜4年間収穫(採集)が可能である。品種改良が進んでおり、シイタケが発生するのに最適な時期はそれぞれの品種によっても異なっている。その地域の気候に最も適した品種を選択し栽培することが大切である。
原木栽培に於いて、落雷が発生するとその周囲でシイタケが異常発生することが、生産者の間では経験的に知られている[18][19]。この発生の理由は高電圧によってほだ木内の窒素が固定(窒素固定)され、亜硝酸塩等の窒素化合物が生成され、菌糸の養分になるからである。伏込んだほだ木に人工的に交流の高電圧パルスを与えた栽培実験では、2〜3倍の収量が得られた事が報告されている[20][21][22][23]。
生産量ではエノキタケに及ばないが、日本でもっとも生産額が多いキノコである。2010年(平成22年)には生しいたけが77,079トン・721億円、乾しいたけが3,516トン(生換算重量24,614トン)・151億円生産された。乾椎茸は大分県が、生椎茸は徳島県が日本一の産地である[24]。そのほか鳥取県、島根県、岡山県、愛媛県、熊本県、宮崎県、群馬県、栃木県、静岡県、長崎県、岩手県、新潟県などで栽培が盛んである。
中国では紀元前5000-4500年の浙江省の遺跡にきのこが出土している[25]。唐時代の詩文にあり、五代時代には菌(きのこ)の記載があり、南宋時代は香椎と栽培法が記載されている。日本渡来は9世紀と考えられる。当時、日本で栽培されていた椎茸の多くは中国に輸出されており、道元は1237年の文献で中国で日本から輸出された干し椎茸を老僧自身が乾しているエピソードを伝えている[26]。その他、椎茸料理に関する歴史的記述は
などがある[27]。
シイタケの人工栽培がどこで始まったのかは諸説がある。一つは豊後国の炭焼き源兵衛が寛永の頃始めたという説である。もう一つは豊後岡藩藩主中川家の記録で寛文4年シイタケの栽培技術を導入するために伊豆国三島の駒右衛門を招いたとある。豊後・伊豆以外では、津藩が1700年代末に、直営事業でおこなっており、1800年代には紀州藩、徳島藩、長州藩、土佐藩、人吉藩、薩摩藩、尾張藩、盛岡藩、宇和島藩、さらには蝦夷地(北海道)で栽培が広がっていた[28]。
干し椎茸の生産統計は1905年に始まる。当時の全国生産量は963トンで、静岡県が25%を占め、次いで大分県、宮崎県とつづいている。1933年ころまでに、全国生産量は800トンから1300トンの間を推移し、1934年には1500トン、1935年には2000トンとなる。静岡県、大分県、宮崎県が三つ巴の競争となる。多くの県で同業組合が設立された。戦時中は統制時代となる。輸出統計は明治初年からある。1921年から中国は混乱時代となり、日本からの輸出は半減する。戦後、1949年までは1000トンを切り、明治時代と同等の生産量となった。しかし、種駒の発明など、生産技術の確立で安定生産が可能となり、1950年には1400トンに戻し、翌年から2000トン台へ、1955年には3000トンを超え、1965年には5000トン、1970年には8000トンに達した。輸出量は1949年までは10-300トンに落ち込むが、1950年には900トンに戻し、その後年によって多寡はあるが、千数百トンとなった。輸出先は昭和30年代には40ヵ国を超えたが、輸出量は各国の中国人の居住人口に完全に相関した。品柄はほとんど’どんこ’に限られた。
中国(中華人民共和国)においては、浙江省・安徽省・江西省・福建省・湖南省などの華中から華南地域が主産地となっている。日本産に比べ、乾燥した感じで比重が軽く、匂いも弱い。近年、不正に日本から持ち出された日本国内の優良品種の種駒で栽培を行い、安価な輸入品が増えている。
中国では1980年代から輸出を大きく伸ばし、日本産の半値以下の価格で世界の消費市場を席巻していた[29]。1987年頃から中国産が内外市場に急増する。その年は893トン、1990年は2404トン、1995年は7539トン、2001年は9253トンと鰻登りに上昇する。中国産は国産の半分以下の価格で、欲しい時に入手できる利便性もあり、また、中国産の国産偽装もあった。消費者の乾しいたけ離れ、中国産の急増、輸出の激減と日本産の干し椎茸は三重苦というべき、苦難に陥った。2000年に朱鎔基首相が来日した時に、TBSは市民対話を行った。朱首相は両国の輸出入を正しい方向に導くことが重要と述べた。その後2007年に中国製食品汚染問題が生じたが、問題は依然として残っている[30]。1995年には中国からの輸入量が日本国内生産量を凌駕した[31]。
英語、フランス語などでもそのまま日本語に基づき「シイタケ」と呼ばれる。フランスでは秋に流通する多くのキノコ類の中にシイタケも含まれ、伝統的な食品流通である朝市のほか、大手スーパーマーケットでは菌床栽培品のパッケージが売られている[32]。ブラジル、フィンランド、アメリカ、オランダ等でも栽培するようになってやはりshii-takeの名で販売している。
ブータンではキノコの消費が多く、西岡京治の農業指導によってシイタケがもたらされて以降広く普及している。
シイタケ(椎茸、香蕈、学名:Lentinula edodes、英語:Shiitake, Shiitake mushroom)は、ハラタケ目-キシメジ科に分類されるキノコである。異説では、ヒラタケ科やホウライタケ科、ツキヨタケ科ともされる。
シイタケは日本、中国、韓国などで食用に栽培されるほか、東南アジアの高山帯や、ニュージーランドにも分布する。日本においては従来から精進料理に欠かせないものであり、食卓に上る機会も多く、また旨み成分がダシともなるため、数あるキノコの中でも知名度、人気ともに高いもののひとつである。英語でもそのままshiitakeで、フランス語ではle shiitake(男性名詞)で受け入れられている。