Felis bengalensis euptilura
和名 ツシマヤマネコ 英名 Amur catツシマヤマネコ(対馬山猫、Prionailurus bengalensis euptilurus)は、ネコ目(食肉目)ネコ科に属するベンガルヤマネコの亜種。日本では長崎県の対馬にのみ分布する。
分布域はモンゴル、中国大陸北部、東シベリア(アムール川流域)、朝鮮半島、済州島、対馬となる。マンシュウヤマネコ(P. b. manchurica) またはチョウセンヤマネコと呼ぶこともある。 また、地元対馬の人々の間では、山に住むトラ毛に因み「とらやま」「とらげ」と呼ばれていた。地域によってはツシマヤマネコの餌となる動物が住む水田付近でも見かけられることから「田ネコ」「里ネコ」と呼んでいた[1]。
なお、地元民にはツシマヤマネコの他に、山に棲息する「オオヤマネコ」が認知され、これらのうち ツシマヤマネコを上記同様に「虎毛」と呼んで区別していたとされる。[2]1972年にも研究者による目撃があるとされる。こちらは頭胴長が約1.2mと既知のヤマネコよりも大型で、毛皮には模様がなくて全身が黄土色の毛で覆われているという[3]。
環境省が2007年に公表した哺乳類レッドリストではPrionailurus bengalensis euptiluraで掲載されているが[4]、それ以前はFelis属に含められていた[5]。
日本国内に分布するネコ類は、人為的移入種であるイエネコを除けば、対馬のツシマヤマネコと、西表島のイリオモテヤマネコの2つのみである。1965年の劇的な発見と報道(毎日新聞、1965年4月15日)により全国的に知られるようになったイリオモテヤマネコと比べると知名度は劣るが、本種も同様に絶滅が危惧される希少動物である。1994年、環境庁(当時)によって国内希少野生動植物種に指定されたが、哺乳類では長らくイリオモテヤマネコと本種の2種のみが指定種であった(2004年にダイトウオオコウモリとアマミノクロウサギが、2009年にオガサワラオオコウモリが指定され、現在は5種)。1971年には国の天然記念物に指定されているが、いまだイリオモテヤマネコと同じ特別天然記念物への指定はなされていない。一方、1998年の「哺乳類レッドリスト (環境省)」(当時は環境庁)発表以来、一貫して絶滅の恐れが最も高い絶滅危惧IA類 (CR)(環境省レッドリスト)とされている(イリオモテヤマネコは当初IB類であり、2007年よりIA類となった)。
ツシマヤマネコの生息地かつては、単に「山猫」と言えば、それは(野猫を指すことも多かったが、その場合を除けば)特にツシマヤマネコのことであった。「猿」と言えばニホンザル、「狐」と言えばアカギツネを意味したのと同様である。古くは200年ほど前の文献に「山猫」として記述されており、1902年頃までは、対馬全域に普通に生息していたと言われる。毛皮は利用価値が低かったが、肉は美味であり、島にはもっぱらヤマネコを狩る猟師も存在した。猟犬の導入による減少があったとも言われるが、1945年頃までは、山奥にはまだかなりの数が生息しており、山に入れば必ず目撃されたとされる。
しかしその後、森林の伐採による営巣地の破壊に加え、林業の普及により本来の植生である広葉樹林や照葉樹林そして混合林の伐採された跡に針葉樹の植林が進められたことや、山間部の耕作地の放棄が進んだこともあって、食物となるネズミや野鳥などの小動物が減少した(水路で獲れるウナギ等の魚を含む小動物が豊富であることから、また、外敵から子猫を守りやすいために、本種は特に育児期には、耕作地に出没することが多かった)。しかも対馬にはツシマテンやチョウセンイタチといった競合者が多く、これらの動物はツシマヤマネコよりも雑食性が強いために、開発が進んだ環境にも強い。除鼠剤や農薬の使用がさらに追い討ちをかけ、近年は野猫や野犬の増加がツシマヤマネコの生存環境をますます圧迫している。1996年には、野猫ないし野良猫から感染したと思われるFIV感染症(いわゆるネコエイズ)のツシマヤマネコが初めて発見されている。また、ニワトリ小屋を野猫などの被害から守るために農家が設置した罠(トラバサミ)によりケガをする個体も相次いでいる。さらに近年では、開発が遅れていた北部でも道路整備が進んだことで、交通事故により死傷するツシマヤマネコも増加している。なお、対馬にはツシマヤマネコの飛び出しに注意を促す道路標識がある。
このような悪条件のもと、1970年代以前には約300頭、1980年代には100-140頭と推定されていたツシマヤマネコは、1990年代の調査では90-130頭、2000年代前半の調査では80-110頭にまで減少した。2010年-2012年に実施したツシマヤマネコ生息状況等調査(第四次特別調査)では、70-100頭と推定され、減少傾向にあるとされている。[6]
対馬南部(下島)での生息について映像や個体等の明らかな確認は、1984年の交通事故で死亡したと考えられる個体の発見以来、長らく途絶えていた。このことからも本種の野生個体がいかに減少しているかが窺える。しかし、2007年3月2日に南部で成獣が撮影され、5月8日に環境省が南部での23年ぶりの生息確認を発表した[7][8]。
このようにツシマヤマネコは絶滅の危機にあったため、1994年、種の保存法により国内希少野生動植物種の指定を受けた。環境庁(現・環境省)は同法に基づき、1997年に対馬北部の上県町に対馬野生生物保護センターを開設し、ツシマヤマネコなどの生態調査、交通事故被害やFIV感染した個体の保護、住民への環境教育や啓発活動などを行っている。
また、種の保存法の指定を受けて、福岡市動植物園で人工飼育、繁殖計画が開始されている。同園では2000年と2001年にそれぞれ1頭の子ネコが誕生しており、その後も多くの子ネコが誕生し飼育されている。2004年3月から、加齢のため野生に帰せず繁殖もできないオスとメスの個体それぞれ1頭の一般公開をはじめた。
さらに、環境省は2006年9月、飼育を分散し繁殖を目指すことにし[9]、新たに井の頭自然文化園とよこはま動物園ズーラシアにオス・メス1頭ずつを移送し飼育し繁殖の試みをはじめた。分散飼育の目的は感染症や災害等発生時のリスク回避、および遺伝的多様性の維持である。その後上記に加え、2007年11月に、富山市ファミリーパーク、つづいて九十九島動植物園、東山動植物園、盛岡市動物公園、沖縄こどもの国、京都市動物園と分散飼育を実施する園館を増やしていたが、繁殖の停滞と飼育下繁殖個体の高齢化が問題となった。このため、環境省は2013年に繁殖の可能性が高い年齢の個体を拠点となる園へ集約し、2014年に福岡市動植物園および九十九島動植物園で5年ぶりに繁殖に成功させている[10]。
将来的には環境省が対馬市南部の鮎もどし公園に開設した対馬自然保護官事務所厳原事務室の野生馴化施設に動物園での繁殖個体を収容し、野生復帰をさせる計画[11]があるが、このような状況のため移動させられる個体がないのが現状である。
このほか、国指定鳥獣保護区の設置など生息地の保全措置、地元自治体やNPOによる保護啓発活動が行われている。
2004年10月には、インターネットオークションにツシマヤマネコの剥製を出品した男性と、これを落札して譲り受けた中学生とその父親が、種の保存法違反容疑で、長崎県警から長崎地検に書類送検されている。
2013年10月18日、対馬市に住む男性が自宅で飼育していたメスのツシマヤマネコの治療を対馬野生生物保護センターに要請し、同センターで治療したが約9時間後に死亡した。この個体は15歳から16歳と推定され、老衰死とみられている。15年ほど前にけがをしているところを保護し、そのまま飼育していたという。ツシマヤマネコを一般の家庭で飼育するのは種の保存法に抵触するが、悪質性が低いとして男性を厳重注意にとどめている。ただし、男性の行為自体は違法であったものの、野生での寿命が8-10年程度と言われるツシマヤマネコが15年以上にわたって飼育された例は大変貴重で過去に2例しかなく、対馬野生生物保護センターでは今後の参考に男性から飼育方法などを聞き取るという[12]。
日本の施設では30頭(オス18頭、メス12頭)のツシマヤマネコが飼育されている(一時的な保護を除く。2014年11月28日時点)。そのうち公開展示している施設は次の10施設(2012年4月28日時点)。 なお、福岡市動物園(飼育頭数 9頭。公開されている「ゴクウ」の他に、8頭を飼育している )のように複数飼育している施設でも全頭数を公開しているわけではない。非公開の個体は原則として繁殖を目的に飼育しており、また、施設で繁殖した個体は将来的に野生に戻す構想もあるので非公開としている[13]。
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新聞
註
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