ミヤコショウビン(宮古翡翠・学名Halcyon miyakoensis )は、ブッポウソウ目カワセミ科に属する鳥類の1種。宮古島に生息していたが、絶滅したとされる。
体色は頭から喉・腹にかけてが赤褐色、後頭部・背は暗緑色、翼上面と尾が藍色、脚が橙色。くちばしの色は不明。全長20cm。
1887年に初めて標本が一体採集されたのみであり、それ以降一度も発見されていない。生態や習性についても、全く不明である。32年後の1919年にその標本を基に新種として記載された(黒田長礼による)。しかしその時も、そしてそれ以降もミヤコショウビンは発見されていない。
最後に確認されてから50年間報告されなければ絶滅とみなす慣習に従えば、最初の標本が採集されて半世紀後、1937年に絶滅が確認されたことになる。
絶滅原因として、人間の活動によるマングローブ林の消失が挙げられている。ただし、そもそも独立種として存在していなかったという説もある。
本種はたった一つの標本しかない幻の鳥類とされてきたが、本当に実体として存在した種であるかは疑問が持たれている。
残された模式標本は、嘴の角質部が欠損しているため嘴部の色は不明だが、それ以外の体色はミクロネシアに分布するズアカショウビン Todiramphus cinnamomius のグアム産亜種・アカハラショウビン T. c. cinnamomia と非常によく似ている。模式標本の脚はアカハラショウビンの黒に対して赤いという差異はあるものの、おそらく当標本がグアムで採集されていたならば、たいした疑問もなくアカハラショウビンとされたであろう。
また模式標本のラベルには『二月五日・田代安定氏採集 八重山産?』とあり、採集年は書かれていない上、宮古島産とは記述されていない。この標本が宮古島で採集されたという情報は、実際の採集から30年以上経った後、採集者である田代安定への聞き取りによって得られたものである。有能な植物学者だった田代は南洋諸島の人類学、植物学研究のため宮古島へ上陸した3年後にグアム島にも上陸しており、そこでも研究用に鳥類標本を入手したことは比較的容易に想像されるし、30年以上経った後にその辺の事情を問われても、記憶が曖昧になっていた可能性も十分に考えられる。ゆえに本種の模式標本とされる標本個体がグアム島産である可能性はかなり高い。それ以外に宮古島に迷鳥としてやってきたか、人為的に持ち込まれたアカハラショウビンではないか、という説も根強い。
仮に同標本個体が宮古島産だったとしても、独立種ではなく、ズアカショウビンの亜種 T. c. miyakoensis とされるべきであるという意見もある。DNA鑑定にでもかければ結論も出ようが、肝心のT. c. cinnamomiaが現在野外では絶滅状態であり、本種の標本も山階鳥類研究所に所蔵されている一体のみのため、真偽の確認は困難である。
なおIUCNでは上記の説を採用しており、本種の存在を認めていないためレッドリスト上での位置づけがない。